変わることと変わらないことに関する一考察 〜大阪生活6ヶ月の記念に。

変わらないことなんてないし、月日を重ねていくことで出てくる幸せもどんどん大きくなっていく。
ーよしもとばなな「Q人生って?」より 

ocean

4月に東京から大阪に越してきて、約半年が過ぎました。
生まれてから育った街を離れ、生活が一変したお陰で、
自分の中の変わらないものがわかってきた気がします。

「これは変えたく無い!」とか、しがみついて考える余裕もなかったので、
日常で必死にもがいてる間に、そーっと波が寄せては返し、
すーっといらないものたちを沖に取り去っていってくれたような感覚。

今、わたしの周りの短い半径に残っている感覚を記しておきたいと思います。
わたしはどんなこと好きで、自然にやっているのか。
時が経つとそれはまたかわっていくのだと思います。
そのじわじわとした変化を楽しみに。

▼新しい経験することが好き

大学職員として、東京から大阪にある大学に転職しました。

前の大学では研究所の総務・広報で幅広く研究の現場の支援をしていましたが、
今の仕事は「女性研究者支援」というひとつの目標があります。
ずっと女子校育ちだけれど、自分も働く当事者として女性が働くこと、
特に、研究者としてサバイブし続けることに関するデータや事例を
目の当たりにすることはわたしにとっては新しい経験です。

ワーク・ライフ・バランスとか、自分が当事者として考えたいことはたくさんあるし、
女性頑張れ!みたいな偏りはちょっと怖いな、とか、考えるネタは尽きません。
このポジションで得られることをたくさん吸収して、
わたしが還元できそうなことは積極的にgiveしていきたいと思っています。
今に刺激になりそうな、東京からの研究者のつながりや情報も
どんどんつなげていきたいです。(ご協力お願いします>みなさん)


▼貪欲に学ぶ人とコラボするのが好き

仕事に関連して、今のポジションでは学生や研究者と一緒に共同して仕事を進めます。
一人一人のキャラクターや経験が濃厚で、それに直に触れることができるので、
彼らから学ばせてもらうことが多くあり、刺激的です。

わたしの場合、大学の現場で仕事がしたいと思うのは、
人との出会いがおもしろいから、というのが大きいので、
今の新しい大学でも色んな方と知り合って、良いものを一緒に作りだせたらと思います。

▼一品ものの「もの作り」が好き

もの作り、特に、書道を使ったもの作りは、やっぱりわたしにとっては
わたしを形作るひとつの大事なパートだと気づきました。
一日の終わりにふと筆を持って、ただ、ただ、書く。
気が向いたら作品として仕上げる。
そうするとひとつ心が収まる気持ちになります。

最近はインスタグラムでまとめるようにしました。
海外の、特にアート関係からの反応もあって愉しいです。
http://instagram.com/calligrapher_shunko

自分が作るだけじゃなくて、人が作っているのを見るのも好きです。
大学からの友人で、はんこアーティストのみょーさんと、
ワークショップを月一回のペースで開催してきて、
大阪に引っ越してからも開催して、その時間がとても好き。
参加者の方から、手づくりっていいなって思えたと感想をもらえたり、
この会の帰り道はいつもほくほくします。

てづくりユニット TezQuriのワークショップ
http://yumiuni.com/?page_id=632

生活の一部といえば、ピアノも、大事な時間だなあと思います。
一つ一つのもの作り音作りを日常に取り入れて生活したいです。

▼一点ものの「美しさ」が好き

最近オートクチュールの世界に触れる機会がありました。
作者の思いがこもった作品たち。
アートに深い知識があるわけではないけれど、
書に親しむ者として、また、毎日ご飯を作る身として、
自分が作ったという思いがこもった美しさは好きだなあと感じます。

一枚のドレス
一筆の書
一杯のワイン
一本の論文
一つの物語
一皿のご飯

思いを込めて作られた美しさにわたしは魅了されるし、
そういう感覚を磨き続けたいと思います。

以上、大阪引っ越し半年記念に、今の考えをまとめました。

最後に、よしもとばななさんのエッセイを読んでいて、
今回の記事を書こうと思い立ったので紹介します。
少し長くなりますが、その長さが良いのでそのまま活かします。

 今、うちに長年土曜日だけいらしているお手伝いさんの、すてきな中年女性がいます。彼女が来ると家の中が明るくなって、頼もしい。
 ただ土曜日の午後三時間おそうじをしてもらうだけの、変わりばえのしない、単調な関係のはずなんだけれど、そのあいだには毛虫が大量に出て一緒に枝を切ったり、おいしいおかしを分けっこしたり、彼女のお母様が亡くなられたり、そのあと親戚の子どもさんを急に引き取られたり、こちらもチビがじわじわと大きくなってきたり、ほんの少しずつの色んな変化がありました。大きなことが毎週起きるのではなく、単調さをベースにしているからこそ、ゆっくりいろいろな思い出ができるのです。
 変わらないことなんてないし、月日を重ねていくことで出てくる幸せもどんどん大きくなっていく。
 ああ、今年も土曜日に蓮の花が咲きそう、蓮を植えてから三年間も一緒に見たのだな。いつまで一緒に見ることができるんだろう、そう思うと、いっしょに蓮を見て喜ぶ午後の幸せがどこまでもじわっとしみてきて、退屈は人の心の中にしかないんだ、とわかる。
自分をなるべくフレッシュに、夜寝るとき一度死んで、朝起きたら生き返るくらいの気持ちで生きられたらどんなにいいだろう、となかなかできないことだけれど、私は心がけています。

ーよしもとばなな「Q人生って?」より p77-78

日常を大切に。