2021年度後期お茶大大学院輪読ゼミ記録//Liselott Mariett Olsson (2009) Movement and Experimentation in Young Children’s Learning: Deleuze and Guattari in Early Childhood Education. London:Routledge

お茶大大学院科目等履修の記録
@お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科
人間発達科学専攻 保育・児童学コース

2021年度後期文献輪読ゼミ

●読んだ文献(文献②の後半から参加)

文献①フェリックス・ガタリ(2012)『精神病院と社会のはざまで:分析的実践と社会的実践の交差路』杉村 昌昭訳、水声社
文献②フェリックス・ガタリ(2017)『カオスモーズ』宮林寛・小沢秋広訳、河出書房新社
文献③Liselott Mariett Olsson (2009) Movement and Experimentation in Young Children’s Learning: Deleuze and Guattari in Early Childhood Education. London:Routledge

 

●履修の振り返り

・「保育を学び直したい、最新の保育学研究に触れたい」と思って履修したが、とてもいい意味で、予想を大いに裏切られた。

・私の知っていた保育学研究の世界は狭かったと思った。保育を固定観念で捉えていて、視野が狭かった。保育学研究の最先端は視野を広く持たなければと感じた。

・保育は保育の世界だけに閉じたものではなく、学際領域(むしろ、従来の発達心理学を否定し、哲学、現象学、も関係する)。

・保育の現場を知っている人が研究の議論をすると納得感があり、ディスカッションで共感の輪が広がる。実践を見てきたからこそできる研究。保育者と研究者の良い関係作り、循環が保育の質を高める。

 

●文献のポイント、議論のメモ(ほんの少しだけ。)

・カオスモーズ(ガタリ)、人間は放っておくとコスモスばかり作ってしまう。コスモス(秩序)をカオスが一撃して、カオスを保たなければならない、という主張

・「世界で起こるすべてのことはプレスクールに影響を与え、その逆に、プレスクールが世界に影響を与えることもある」Liselott Mariett Olsson (2009)

・コンピテンシーと呼んでいるものの違い。OECDのコンピテンシーとレッジョのコンピテンシーのは違う。

・学校はセグメントばかり。セグメントすることで効率化させている。

・中動態としての遊び

・逃走線、審美性

・現象学を読むことで保育実践の記述の言葉が豊かになる

・保育の質を図る=基準を設定した時点で、それ以外の教育の可能性を考えない、それ以外のものが見えなくなる、逃走線が奪われる

・シニフィアンとミーニングは、クリエイティブを潰すもの
ミーニング:下駄箱=靴を置く場所
センス:下駄箱=ダンゴムシの展覧会、泥団子を並べる場所

・超越的=外から来た研究者が超越的に現場実践に意味をつけてしまう。ミクロ政治のやり口、切片に区切っては意味をつける。

・ドキュメンテーションは、過去の記録を書き留めた保護者向けサービスではない。現在進行していることに影響しあうもの。

・一般化。保育のフィールドワークを一般化することはしない。あえて一事例をみる実践研究、事例研究の面白さがある。

・ドゥルーズ&ガタリ、従来の発達心理学主義への批判、能力欠如説を否定