Book Review #2「ミステリーの書き方」日本推理作家協会編著

mystery

とても読み応えのある内容でした。(文庫685ページ!持ち歩くのはやや重かった。)

東野圭吾、宮部みゆき、伊坂幸太郎、石田衣良、赤川次郎…。誰もが一度は読んだことがある作家たちが、「そこまで言っちゃっていいんですか?」と思うほど、小説の書き方について手の内をさらしてくれています。この本の読後は、ミステリーに限らず小説の読み方が変わるかもしれません。

私の「ラノベを書きたい」(書くのか?!)という発言をきっかけにお薦めいただいた本書ですが、必ずしも「ミステリーを書きたい」と思っているわけではない私にも、目からうろこ、誰かに教えたくなるティップスにあふれた一冊でした。

詳しいティップスは、ぜひご一読いただきたいのですが、作家たちのティップスを通読してみて、一読者として気がついたことをメモしておきます。

● 映画からヒントを得る。

映画(主に洋画が多かったように思います)からヒントを得るという作家が数名いました。ストーリー全体やキャラクター作りを参考にするという作家もいれば、乙一さんは、ハリウッド映画『エイリアン』からプロットの流れを参考にする、という例を挙げられていました。

プロットが4つのパートから成立させる場合、乙一さんは次のように考えるそうです。

A「一つめのパート」
B「二つ目のパート」
C「三つ目のパート」
D「四つ目のパート」

そこから更に細分化して考えていきます。

一章
A「一つめのパート」
a「一つ目の変曲点」
二章
B「二つ目のパート」
b「二つ目の変曲点」
三章
C「三つ目のパート」
c「三つ目の変曲点」
四章
D「四つ目のパート」
d 「四つ目の変曲点」

(中略)

最も重要な事は、全体の尺の1/4を1つの区切りとして把握することである。
このプロットのスタイルは、ハリウッド映画が作られる際のシナリオ執筆方法を参考にしている。

(中略)

映画『エイリアン』を例にとって考えてみる。この映画は、宇宙船の内部でエイリアンが人を襲うというあらすじである。全体の尺はほぼ120分である。aのポイントで登場人物はエイリアンの卵を発見する。bのポイントでエイリアンが人間の体内から生まれる。cのポイントで、宇宙船を爆破して逃げるという最後の決断をする。エイリアンが人間の体内から生まれて殺戮を始めるという、登場人物たちの最も苦しむ場面は、三章(つまり60分から90分までの間)に描かれている。

乙一「プロットの作り方」p191〜193

 

● 小説をどの「視点」から書くか。

主語を誰にするか、つまり、誰の視点からストーリーを進めるかが肝になるそうです。日本語は、主語を省略できる素晴らしい言語だそうで、それ自体が小説のトリックになったりもするそうです。

宮部みゆきさんは「視点」が決まらないと小説を書き始められない、とおっしゃっています。

———それが決まらないと書き始められないものは。
宮部 それは…やっぱり誰から見るかですね。
———視点ですか?
宮部 その事件を誰の目で体験させるか。否定的な側から見るか、面白がっている側から見るか、事件によって傷ついた側なのか、犯人なのか。あるいは世間から見るのか。もうひとつは時系列ですね。どの時点から書くか。
———ふんふん、なるほど。
宮部 視点人物がどの時点でこの事件と関わったかが決まらないと書けないですね。決まった時点で、「ああ、書ける」ってことになる。去年、『誰か』という作品で、やや私立探偵的な動きをする主人公を出したんです。その人なんかだと、誰にどんな理由でこの事件に関わってくれと頼まれるのか決まらないと書けなくて、それでしばらく悩んでいました。

宮部みゆき 「プロットの作り方」p175

 

また、神保裕一さんは、視点の選択に迷ったときの解決法を教えてくれています。

私は視点の選択に迷ったとき、試しになんでもいいから書き出して見る。そして、別の視点で書き直し、先の見通しを予想しつつ、比較の上に決断する。『発火点』という長編では、最後まで一人称にするか、三人称一視点でいくかを迷い、最初の部分を書きくらべてみた。

(中略)

十九歳になろうとする春から、俺は一人暮らしを始めた。

これは、一人称ならでは、の書き出しである。もちろん、「俺」を主人公の名前に置き換えても意味は通る。

十九歳になろうとする春から、敦也は一人暮らしを始めた。

読んでもどこにもおかしな点はない。しかし、三人称で書くと、単なる説明にしかなっていないように思えてしまう。章の書き出しとしては、あまりにお粗末すぎる印象が残る。

神保裕一「視点の選び方」 p260〜261

● とにかく書くこと、書き続けること

書き続ける知力、体力、精神力の重要性は繰り返されています。

香納諒一さんは、「日記」で解消する、という提案をされています。

好不調が存在すること自体を喜びにさえ変えてしまうという意味で、私は日記をつけることを勧めます。

(中略)

日記をつける意味は、自分でそれを見抜くことにあります。スランプと思われるものの原因の大半は、躰と心双方の疲労です。そんな時には、ぱっと休んでしまえばいいのです。しかし、そんな時ほど、知らず知らずのうちに追い詰められているために、なかなかぱっとなど休めやしません。そういった悪循環を、日記を書き、読みなおすことによって断ち切ることができます。

(中略)

私は、日記の中には、自分の作品のどの部分がどのようにうまく書けたのか、どこは難所だったのかということを書き留めておくようにしています。

また、日記をつけることへのありがちな罠についても言及されています。

忘れてはならないのは、こうして日記をつけるのは、自分と対話するためであって、決して自分を縛るためではないということです。毎日、一定の目標を立て、同じように生きようとしても、それは無理というものです。かえって、今日も予定がクリア出来なかった、と思っては落ち込むだけでしょう。

香納諒一「書き続けていくための幾つかの心得」p644〜645

 

● トリックのヒントを読者にどのように晒していくか。

トリックそのものの巧妙さよりも、トリックをいかに読者にバラしつつ、バラしすぎず、の絶妙なポイントを探ることが難しいそうです。

逢阪剛さんは、「餌をまく」という表現でトリックのバラし方について言及されます。

その逆転、またはどんでん返しのために必要なミスディレクションを効果的に生み出すために、若い頃は、ストーリーの構成、大雑把な進行表みたいなものを作っていた。とくに一種のどんでん返しを決めるためには、構成をきちんと頭の中に入れておかないといけないから。それをみながら自分の小説を積み上げていくわけです。その過程の中で、読者に悟られないように、色んな餌をあちこちにばらまく。ばらまいた餌には本当の餌もあるし、偽の餌もあるわけですね。それをいかにも、意味ありげにばらまかないといけない。そうしないと、食いついてくれないんでね。

逢阪剛「どんでん返し−−いかに読者を誤導するか」 p493

 

以上、私が通読してみて、メモしておきたい作家の心得を紹介しました。(長くてすみません…)

最後に。

この本はそれぞれの小説家の原稿やインタビュー原稿がメインになっていますが、もう一つのお楽しみとして、小説家へのアンケート結果がまとめられて随所に散りばめられています。
たとえば、ミステリーを書くとき、最初に考えるのはどんな要素ですか?

トリック
ストーリー
キャラクター
テーマ
プロット
シーン

さて、どれが多かったでしょう?

答えは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p186にありますので読んでみてください。