メモと感想。メモは多すぎるので一章のみ。
佐伯胖先生の一章の結びがこの本を通した世直しメッセージなのだな。
「今日の日本の多くの保育者たちが、計画主義と評価主義の監視と管理にがんじがらめになって、毎日提出しなければならない計画書と報告書に追われている現状を考えると「北風と太陽」のおてんとうさまのもと、2・5人称的眼差しで保育実践が行えるのは「夢のまた夢」に過ぎないかもしれない、、、そんな事で良いはずが無い!」
・帯より
従来の保育における「ケア」の概念は「保育者が子どもを世話する」ということのみで捉えられてきた。しかし、保育現場に身をおくと、子どもが対象世界をケアする姿に出会い、そのかかわりの豊かさに圧倒させられる。本書では、「二人称的アプローチ」から子どもの姿を丁寧に読み解き、「子どもがケアする世界」に保育者がどのようにかかわり、新たな意味を創出していくかを考察することで、保育の奥深い世界を描き出す。
メモ
●序章 保育におけるケアリング
・ケア論研究第一人者のノディングズは、人は他人をケアするとき、同時にケアされているとして、ケアという一方的な行為を指す言葉に換えて、ケアリングという相互的かかわりを指す言葉を用いるべきだとしている(ノディングズ、1997)
・村井実は、人間の本性として「すべての人は自らよく生きようとしている」とする(村井、1967)しかし、「よく生きようとする」のは「他者とともに」という「間柄的関係」の中でのことであり、「自分以外の誰かをよく生かそうとする」中で、結果的に(自分が)よく生きているということになっている、そのことを人は求めないではいられない、というのが本書の立場。
・そして子ども(乳幼児でさえ)にも、その気質は備わっていることを示すハムリンらの実験事例がある(Hamlin & Wynn, 2011) : 生後6〜10ヶ月、親切なブロックと意地悪なブロックを選ばせる。
・「子どもがケアする世界をケアする」ような保育をするならば、保育者はまず一方的に何かを施行する(してあげる)ことを控えなければならない。第一に求められるのは、子供が何をどのようにそしてなぜケアしようとしているかをまず「子どもに聴く」姿勢。
・レッジョ・エミリアの保育実践指導をするリネルディは、「聴き入ることの教育(Pedagogy of Listening)」が重要だとしています。
・ノディングズのケアリング概念の原点はヴェイユの「聖杯伝説」にある(ノディングズ、2002):聖杯伝説:聖杯をどんな飢えも満たすことのできる奇跡の盃。この杯を持つ王は体の4分の3が麻痺している。この王に向かって、良かれと思うことをしてあげることが愛ではなく、「あなたの苦しみは何なのですか」と問う人こそ隣人愛を持つ人である。訴えを「聴かせてほしい」というのが聖杯伝説の「問いかけ」。
・2008年ヴァスデヴィ・レディがHow Infants Know Mindsを刊行。人の発達と学習において「二人称的関わり(a second-person engagement)」が重要であることを説いており、佐伯のドーナツ論と類似していた。:佐伯翻訳『驚くべき乳幼児の心の世界ー「二人称的アプローチ」から見えてくること』ミネルヴァ書房2015
・レディは発達心理学者として乳幼児の発達研究に従事してきたが、自らが出産して赤ちゃんと親しくかかわり驚いた。これまでの発達心理学のテキストでは、赤ちゃんは生後2、3ヶ月になるまで他人とかかわりがわからない、3、4歳までは他人の心を自分の心と違うものとは理解できないとしているが、母親としてみると、生後間もない赤ちゃんでもはっきりこちらの微笑みに「応える」し、一才でもこちらの心を見透かして面白がらせたりわざとふざけたり、見せびらかしたり、期待をもたせて裏切ったり、意地悪や狡賢さを含めて、「この子、人間なんだ!」と思わせられた。「どうして、心理学では、赤ちゃんの、こんなにまで人間臭いことを、見逃してきたのか」
・これまでの心理学は赤ちゃんをモノのように観察し、モノのように反応させて「三人称的に」見てきた。ところが、母親は赤ちゃんを個人的関わりを持つ他者として「二人称的に」関わっている。レディの「二人称的関わり」は「三人称的関わり」へのアンチテーゼ。
●一章 「二人称的アプローチ入門」
・二人称的かかわりは佐伯流にいうと「共感的かかわり」。
・ノディンングズも、「共感」は「情動的(emotional)」というより「認知的|(cognitive)」な営みだとして いる。筆者は、「共感」を「情動込みの知」であるとしたい。
・赤ちゃんは「遊び」に熱中することから、母親との「アタッチメント病」から脱する。同感から共感へ。
・「二人称的関わり」が「共感的関係」になるには、他人の苦しみへの配慮がなければならない。ハムリンとワインの実験では、6ヶ月10ヶ月の赤ちゃんはブロックたちを「おてんとうさま」の目で見ていた、というのが佐伯の解釈。「おてんとうさま」は北風と太陽に出てくるような「やさしい二人称的眼差しをたたえた三人称」つまり、2・5人称的な三人称。
・「今日の日本の多くの保育者たちが、計画主義と評価主義の監視と管理にがんじがらめになって、毎日提出しなければならない計画書と報告書に追われている現状を考えると「北風と太陽」のおてんとうさまのもと、2・5人称的眼差しで保育実践が行えるのは「夢のまた夢」に過ぎないかもしれない、、、そんな事で良いはずが無い!」
●感想
・子どもに寄り添う記述に圧倒された。そこまで見とれるのか、と。
・記述と解釈に飛躍を感じない。二人称的記述の効果だと思う。
・読んでいて記述者(保育者)と一緒にしんどくなるほどの寄り添い(特に自閉症児の章)。保育という行為の奥深さを痛感する。
・保育者に、記述した記録を共有する研究者の存在も大きい。研究者が現場に入り観察することの意義を確信できた。
・一方で、このように保育者や研究者が記述して子ども一人一人に寄り添える園は、今の日本に、どれほどあるだろうか、子どもの豊かな世界を捉えられる現場になっているのだろうか、という現実世界の問いが心にささくれ立つ。
・しかし、このような記述の方法を、この本を手に取った保育者は、子どもの世界を捉える新しい眼差しとして「二人称的アプローチ」を得るわけだから、日々の保育の中で二人称的アプローチを少しでも心がけることができれば保育の質は高まると思う。